2016年3月30日水曜日

すべてがFになる

過去に放映していたアニメを録画してためて
ここ3日ほど一挙に見ています。
今日は昨年放映した「すべてがFになる」を
見ました。

見て気づいたのですが、大失敗していました。
全11話中、第1話、第10話、第11話を録画
していなかったのです。
第1話はテレビで見ていたのでスルーして
見続け、物語がクライマックスになる10話と
最終話である11話の欠落に気づきました。
20年前なら発狂状態ですが、そこはネット社会、
あの手この手で見ることができ、本当に便利な
世の中と実感しています。

で、「すべてがFになる」の作品についてですが、
このストーリーでは毎週見ていては面白くなく
このようにイッキ見することが正しい視聴方法
だったと思います。
「ブギーポップは笑わない」「MADLAX」などに
見られる2つの展開軸を並行してすすめる
手法をこの複雑なストーリーで見せられると
アニメを数多く見ていない人はつまらなかった
のではと心配します。

作品自体はとても興味あるものでした。
それは推理ミステリーの面としてではなく、
犀川先生や真賀田博士の哲学的な思想、
たとえば「なぜ人間は生きるのか?」のような
考え方に興味がありました。
もちろん私の考え方とは異なります。
「同じように考える必要はない。そもそもどんな人間も
誰かと同じように感じることなんて出来ないんだ。」
というセリフはすごく同調できます。
それは、この作品が発表された20年前のアニメ
「新世紀エヴァンゲリオン」の考え方にも似ていて
バブル崩壊後、冷静になった人間心理も垣間見えます。

と難しいことはともかく、表向きだけでも、ここ20年で
便利な世の中になったことは真実です。