2015年3月19日木曜日

SONYはまだ生きていた

昔日本にSONYという優れた
エレクトロニクス製品をつくる
企業がありました。

カセットテープ、ウォークマン、
CDと20世紀の音響製品の礎を築き
高画質のブラウン管を輩出し
大画面テレビを家庭でも楽しめる
ようになったのもSONYのおかげです。

井深氏、盛田氏という技術者が
立ち上げたこの優れた企業は
利益に関係なく優れた技術者が集い
世の中をアッと言わせるような
製品の開発に力を注ぎました。
そしてその結果として多大な利益と
ブランドを手にしました。

しかしこの企業は大画面テレビでの
成功を最後に衰退していきます。
ゲーム機と金融の企業に
なっていくのです。
特に出井氏がトップに立つと
単に経営の上手なだけの企業となり
SONYの看板を掲げていても
SONYの魂は死んでしまったのです。
今、品川でネクタイを締めて
ビルを出入りしている人々は
SONYの社員であっても
SONYではありません。

先日SONYが20世紀末販売し
生産終了後、現在修理受付もしていない
ペットロボットAIBOの修理をする企業を
テレビがピックアップしていました。

社員はSONYを定年退職した
シニアたちで、身につけた技術で
ユーザーに喜んでほしいと
いう気持ちで仕事に取り組んでいます。
その姿に番組コメンテーターが
「これこそがSONYですね」と言いました。
まさに同感です。
魂死に絶えたと思われたSONYは
まだ生きていたのです。

新しい製品を次々に作っていくことが
これまで求められてきましたが
昨日も述べたとおり使う側の人間には
機器を使いこなす限界があります。
テレビは次々と高画質で
大画面に進化していきますが
ある水準以上のものは
求められていないのです。
そんな中
過去に販売した商品に対し
「期間が過ぎたから修理できない」
というのは物づくりをする側として
無責任なのではないでしょうか?

「人に愛される製品を生み出し
愛してくれた人の信頼を裏切らない」
それこそが本当のSONYだと思います。