昨日北京で開かれた「抗日戦争勝利70周年記念行事」
に関しアメリカ合衆国は反日感情を高めることのない
よう中国を牽制したうえで、国際連合の潘事務総長が
式典に出席することについては特にコメントをして
おりません。
一方日本は国連の中立性の観点から不快感を表明して
います。
「抗日戦争勝利70周年記念行事」というのは題目で
要は中国の軍事パレードです。
特に今回の軍事パレードは単にパレードの状況を
リポートするものではなく、エンターテイメントともいえる
ショーのようになっていて、多数のカメラを動かし
すばらしい映像作品に仕上がっています。
私はそもそも中国や北朝鮮などが催すこのような
軍事パレードにさも国際会議のように各国から首脳が
集まることが異常ではないかと思います。
実際に欧米各国は首脳の出席を見合わせました。
軍事パレードの開催意義は、開催国がいかに軍事力が
凄いのかを見せつけるもので、核実験や弾道ミサイル
を試験発射するのと同等のものです。
このような催しに人が集まり、華やかに行われている
様子が世界に発信されることは、度重なる大戦からの
反省がまだ全然なされておらず、情けないことです。
そのような中出席した韓国の朴大統領はある意味
チャレンジャーで、国際社会からもよからぬ決意を
危惧しています。
安保法案は戦争法案であると一部マスコミや国民が
訴えています。確かに戦争へ舵へとることは許され
ませんが、このような世界を見せられると戦争反対と
デモ行進する人たちが滑稽でなりません。
もっと真剣に日本国民も平和について考える必要が
あります。
最後に一言、「抗日戦争勝利70周年」とありますが
第2次大戦の戦勝国は現在の台湾政府である中華民国
であり、今回北京で主催した中華人民共和国では
ありません。
2015年9月4日金曜日
2015年9月3日木曜日
和歌山県太地町でイルカの追い込み漁が始まりました
和歌山県太地町で、イルカの「追い込み漁」が始まり
ました。世界的な圧力で日本動物園水族館協会が加盟
する水族館は今年からこの漁で入手することが禁止
されていますが、加盟していない施設からの購入希望
があり今年も活動しています。
捕獲に反対する環境保護団体などのメンバーも姿を見せ
地元の警察が警戒に当たるなか、写真撮影や双眼鏡で
監視したりしましたが、大きなトラブルはありません
でした。
鯨やイルカが嫌いなわけではありませんが、絶滅危惧種
ではないものに対して、残酷だから捕獲してはいけない
という人たちが私には理解できません。
太地町は紀伊半島南東部に位置し、南紀勝浦温泉の隣の
小さな町です。
大阪中心部から岡山、名古屋ほどの距離があり、正直
私も未踏の地です。
そこで昔から受け継がれている伝統産業を突然海外から
横やりを入れられて、断念しなければならないという
のもおかしな話です。何の権利があって太地町の暮らし
を絶とうとするのでしょうか?
日本における基地移設反対、原発再稼働反対、
安保法案反対もそうですが、虐めやすいものから虐めて
恐いものは見て見ぬふりをする「最低な人間の集団」にしか
見えません。
グリーピースなる団体が日本の捕鯨調査船に対し
妨害活動をするのに南沙諸島を埋め立てる中国に対し
何もしないことがよい例です。
地方が過疎化し、この先47都道府県も維持できなく
なるかもしれない日本の地方において、鯨やイルカ
よりも太地町のほうが絶滅危惧種に見える私です。
ました。世界的な圧力で日本動物園水族館協会が加盟
する水族館は今年からこの漁で入手することが禁止
されていますが、加盟していない施設からの購入希望
があり今年も活動しています。
捕獲に反対する環境保護団体などのメンバーも姿を見せ
地元の警察が警戒に当たるなか、写真撮影や双眼鏡で
監視したりしましたが、大きなトラブルはありません
でした。
鯨やイルカが嫌いなわけではありませんが、絶滅危惧種
ではないものに対して、残酷だから捕獲してはいけない
という人たちが私には理解できません。
太地町は紀伊半島南東部に位置し、南紀勝浦温泉の隣の
小さな町です。
大阪中心部から岡山、名古屋ほどの距離があり、正直
私も未踏の地です。
そこで昔から受け継がれている伝統産業を突然海外から
横やりを入れられて、断念しなければならないという
のもおかしな話です。何の権利があって太地町の暮らし
を絶とうとするのでしょうか?
日本における基地移設反対、原発再稼働反対、
安保法案反対もそうですが、虐めやすいものから虐めて
恐いものは見て見ぬふりをする「最低な人間の集団」にしか
見えません。
グリーピースなる団体が日本の捕鯨調査船に対し
妨害活動をするのに南沙諸島を埋め立てる中国に対し
何もしないことがよい例です。
地方が過疎化し、この先47都道府県も維持できなく
なるかもしれない日本の地方において、鯨やイルカ
よりも太地町のほうが絶滅危惧種に見える私です。
2015年9月2日水曜日
大阪の都市計画 ピンチをチャンスに
三菱地所はJR東京駅前に高さ約390メートルの
超高層ビル(61階建て)を建設すると発表しました。
あべのハルカスが「日本一高い高層ビル」の称号
を手に入れ、大阪の自慢となった矢先だけに、
関西ローカルのニュースでも取り上げられるほどの
できごとでした。
「それだったら、それより高いビルを建てればいい」
と言う声があがる反面、「あべのハルカスですら、
予想より売上げが上がらないのに、建てても仕方
がない」と反論され怯んでしまうところでしょう。
しかし私はここでこそ、大阪市都市開発局と民間
がタッグを組む時だと思います。
具体的には1970年代に相次いで開業した大阪
駅前第1ビル第2ビル第3ピル第4ビルをひとつに
まとめて、大阪駅北側の貨物駅跡地に駅と直結
した大阪駅前ビルを建築するのです。
単純に4つのビルのフロア数をたしただけでも
地上と地下で105フロアですが、現在駅前ビル
に入居しているテナントに同条件で移転して
もらう場合、それだけでは収益があがらないので
ホテルや新しく高層階に高額で入居してもらう
テナントを募り、地上120階地下6階くらいの
規模で高さ500メートルほどの高さの高層ビル
になります。
ビル西側には10階建ての付属ピーキングビル、
このビルと大阪駅ノースゲートビルのほぼ全部の
フロアを直結させ、新梅田スカイビルや、自家用車
で大阪駅に来た人は必ずこのビルを通り抜けていく
つくりにします。このフロアに現在の駅ビルの
下層階に入居する金券ショップなどの店舗を
主として配置、高層にはなりますが、大阪駅の
目の前であればむしろ条件はよくなります。
そしてこの高層ビル完成後、旧大阪駅前ビルは
4棟とも解体し、跡地の南側は国道2号線を拡張
して、梅田新道の交差点を介さずにそのまま
新御堂へと乗り入れる高架を2車線増やし、
北側は緑地公園にします。もちろんウメキタ
の高層ビルも敷地の2割程度は緑地です。
私の狙いはこの緑地公園にあります。
何度か発言しましたが、意外と東京に比べて
大阪は緑の面積が小さいのです。
北港や南港の新しい土地に緑地公園を造る
ことは簡単です。いかに大阪市にまんべんなく
緑地帯をつくっていくかが課題なのです。
第1期のウメキタ開発も、新梅田シティも
大阪ガーデンシティもビルとセットで緑地も
造られています。これを大阪駅の南側にも
実践するには大阪駅前ビルの移転が一番
だと思います。
超高層ビル(61階建て)を建設すると発表しました。
あべのハルカスが「日本一高い高層ビル」の称号
を手に入れ、大阪の自慢となった矢先だけに、
関西ローカルのニュースでも取り上げられるほどの
できごとでした。
「それだったら、それより高いビルを建てればいい」
と言う声があがる反面、「あべのハルカスですら、
予想より売上げが上がらないのに、建てても仕方
がない」と反論され怯んでしまうところでしょう。
しかし私はここでこそ、大阪市都市開発局と民間
がタッグを組む時だと思います。
具体的には1970年代に相次いで開業した大阪
駅前第1ビル第2ビル第3ピル第4ビルをひとつに
まとめて、大阪駅北側の貨物駅跡地に駅と直結
した大阪駅前ビルを建築するのです。
単純に4つのビルのフロア数をたしただけでも
地上と地下で105フロアですが、現在駅前ビル
に入居しているテナントに同条件で移転して
もらう場合、それだけでは収益があがらないので
ホテルや新しく高層階に高額で入居してもらう
テナントを募り、地上120階地下6階くらいの
規模で高さ500メートルほどの高さの高層ビル
になります。
ビル西側には10階建ての付属ピーキングビル、
このビルと大阪駅ノースゲートビルのほぼ全部の
フロアを直結させ、新梅田スカイビルや、自家用車
で大阪駅に来た人は必ずこのビルを通り抜けていく
つくりにします。このフロアに現在の駅ビルの
下層階に入居する金券ショップなどの店舗を
主として配置、高層にはなりますが、大阪駅の
目の前であればむしろ条件はよくなります。
そしてこの高層ビル完成後、旧大阪駅前ビルは
4棟とも解体し、跡地の南側は国道2号線を拡張
して、梅田新道の交差点を介さずにそのまま
新御堂へと乗り入れる高架を2車線増やし、
北側は緑地公園にします。もちろんウメキタ
の高層ビルも敷地の2割程度は緑地です。
私の狙いはこの緑地公園にあります。
何度か発言しましたが、意外と東京に比べて
大阪は緑の面積が小さいのです。
北港や南港の新しい土地に緑地公園を造る
ことは簡単です。いかに大阪市にまんべんなく
緑地帯をつくっていくかが課題なのです。
第1期のウメキタ開発も、新梅田シティも
大阪ガーデンシティもビルとセットで緑地も
造られています。これを大阪駅の南側にも
実践するには大阪駅前ビルの移転が一番
だと思います。
2015年9月1日火曜日
同じ過ちを繰り返そうとする「橋下市長」
予てから述べている通り私は「大阪都構想」には
賛成していますが、強引な橋下氏の手法で、
これを推し進めることに懸念を抱いています。
大阪市を5つの特別区に区割りするにあたって
既得権益を考慮しない維新の会らしからぬ
偏った区割り案を決定したのも、橋下市長の
思惑が見え見えです。また松井知事をはじめ
脇を固める人々が橋下市長のブレーカー的
存在であればよいのですが、橋下氏にNOと
言える人がいないので、橋下市長に維新が
翻弄されているように見えることもあります。
住民投票を僅差で敗北したのち、自民党など
が提唱した「大阪戦略調整会議」が機能
しなかったため、ふたたび大阪都構想実現へ
舵をとる姿勢は正しい判断だと思います。
しかし「維新の党」の柿沢幹事長が党が推薦
していない議員を応援した問題を発端にして
「永田町の連中に政治を任せられるか。
大阪から政治をやる政党をつくりたい」と
突然新党構想をぶちまけるのはいかがな
ものかと思います。
弁護士出身の為、白黒つけたい闘争本能
のようなものが抑えられないのかも
しれませんが、「維新の党」の松野代表が
豆鉄砲を喰らった鳩のように記者会見する
様子はあまりにかわいそうです。
ひとりで政治は動かせません。特に今の
選挙制度では、少々の勢力を手に入れても
過半数の議席がとれないようなシステムに
なっていることは、橋下氏本人もわかって
いるはずです。
今、政界に敵をつくることは、もし新しい
維新勢力が与党の脅威になる頃に
大きな障害となることは目に見えています。
基本的に大阪維新の会が目指す政治は
間違っていないと思います。しかし手段を
誤ると正しいことも間違いになることを
先の住民投票で学んだはずです。
あの時の過ちを繰り返さないよう祈る
ばかりです。
賛成していますが、強引な橋下氏の手法で、
これを推し進めることに懸念を抱いています。
大阪市を5つの特別区に区割りするにあたって
既得権益を考慮しない維新の会らしからぬ
偏った区割り案を決定したのも、橋下市長の
思惑が見え見えです。また松井知事をはじめ
脇を固める人々が橋下市長のブレーカー的
存在であればよいのですが、橋下氏にNOと
言える人がいないので、橋下市長に維新が
翻弄されているように見えることもあります。
住民投票を僅差で敗北したのち、自民党など
が提唱した「大阪戦略調整会議」が機能
しなかったため、ふたたび大阪都構想実現へ
舵をとる姿勢は正しい判断だと思います。
しかし「維新の党」の柿沢幹事長が党が推薦
していない議員を応援した問題を発端にして
「永田町の連中に政治を任せられるか。
大阪から政治をやる政党をつくりたい」と
突然新党構想をぶちまけるのはいかがな
ものかと思います。
弁護士出身の為、白黒つけたい闘争本能
のようなものが抑えられないのかも
しれませんが、「維新の党」の松野代表が
豆鉄砲を喰らった鳩のように記者会見する
様子はあまりにかわいそうです。
ひとりで政治は動かせません。特に今の
選挙制度では、少々の勢力を手に入れても
過半数の議席がとれないようなシステムに
なっていることは、橋下氏本人もわかって
いるはずです。
今、政界に敵をつくることは、もし新しい
維新勢力が与党の脅威になる頃に
大きな障害となることは目に見えています。
基本的に大阪維新の会が目指す政治は
間違っていないと思います。しかし手段を
誤ると正しいことも間違いになることを
先の住民投票で学んだはずです。
あの時の過ちを繰り返さないよう祈る
ばかりです。
2015年8月31日月曜日
僕の好きな音楽 「Mr.Children」
1990年代以降小田和正の音楽がメイン
とは言いましたが、数年に1枚のアルバム
のため、間が持たないのが現状です。
実はもうひとつ、ここ20年のお気に入り
があります。Mr.Childrenです。
1993年「CROSS ROAD」発売後、CDを
買ってよく聴いてはいたものの「よく聴く
アーチスト」のひとつに過ぎませんでした。
「おっ!」と思ったのは1995年リリース
「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」
でした。それまで強引に歌詞をメロディに
詰め込んでいたような楽曲が多かった
印象が、この曲ではじめてしっくりときた
ように感じました。ところが翌年発売された
次のシングル「名もなき詩」でふたたび
詰め込み感を感じて、少し引いて
しまいます。
気になる存在ではありながらミスチルを
本当に好きな音楽と位置づけるように
なったのは、恐らく桜井和寿が小脳梗塞から
復帰後の2003年「掌」からだと思います。
「掌」はダークな感じの曲で、最初はあまり
いいイメージではありませんでした。
しかし聴いているうちに好きだったアニメ
「新世紀エヴァンゲリオン」の世界観と
重なるところがあり、次第に魅かれて
いきます。翌年発売された「シフクノオト」
以降はアルバムすべて予約買いして
います。
私の一番好きな曲は「横断歩道を渡る人たち」
という曲です。最初は詩の詰め過ぎと思っていた
ミスチルも私の聴く耳が変わったのか、
桜井氏が進化したのか、あの曲を聞くと
昭和の懐かしささえ感じます。
このシリーズ最後に現在のハードです。
最近は購入したCDをこちらに落として聴く
意外に、パソコンでも管理していますが
そのソフトも含めSONY製が続いています。
別にこだわりはないのですが・・・。
2015年8月30日日曜日
僕の好きな音楽 「小田和正」
オフコースから浜田省吾へと主軸が変わる
1980年代が過ぎ1990年前後になると
ラジオ離れが進むようになります。
様々な音楽を聴く機会が失われ、オリコンを
流し読みする程度へと生活が変わります。
ただCDは結構聴く機会が多く、渡辺美里、
TMネットワーク、大江千里、ドリカム、Bz、
谷村有美とたくさん買ってたくさん聴きました。
ちなみにこの頃のコンポはこんな感じです。
で、結局この頃一番好きだったアーチストは
となると「小田和正」です。
オフコースは1989年にできて間もない
東京ドームでの公演を最後に解散します。
解散後、小田和正は1986年から始めた
ソロ活動を本格化し、1990年に解散後初の
ソロアルバム「Far East Cafe」をリリース
します。このアルバムの中の「time can wait」
が私の中の分岐点となる曲となります。
それまでは甘くせつない愛の唄を奏でて
歌う感じだったのですが、この曲から、夢や
希望といった恋愛以外のテーマにも広がって
いったのです。
一方1990年の湾岸戦争のあと浜田省吾が
リリースした「その永遠の一秒に」にはどんな
メッセージが込められているのだろうかと
期待していたのですが、このアルバム以降
ラブソングがメインという流れに転じます。
ここで主軸がふたたび小田和正へとシフト
していきます。さすがに最近は少し老けた
感じはありますが、自分らしさを主張しつつも
幅広く挑戦する小田氏の姿は見習うべき
ところがあります。
1991年、当時「前代未聞」と表現される
2週間での100万枚突破を成し遂げます。
前身のオフコースも含め、小田和正自身
オリコン1位の経験はなく、前年までは
1週間に10万枚売り上げることもあまり
なかったため、恐らく発売時は100万枚を
プレスしていたものと思われます。
その状況で1週間74万枚を売り上げた為
新曲にもかかわらずCDが店頭から消える
という現象が起こりました。
ドラマ主題歌「ラブストーリーは突然に」
の人気です。
このCDをお持ちの方はご存知のことと
思いますが、「Oh!Yeah!」が1曲目で
2曲目が「ラブストーリーは突然に」に
なっており、この辺は小田和正らしい
ところです。生命保険のCMソングの
「Oh!Yeah!」は有名ではないかも
しれませんが、今でも歴代CMソングの
売上1位のはずです。
最近わかってきたのは、小田和正は
偏屈そうで、大ヒットと呼べる曲も多くは
ありませんが、どんな曲が好まれるのか
理解しているということです。
2007年「こころ」2014年「愛になる」
の制作談話からそれがわかります。
ツボがわかっていながら、媚を売るような
ことをしないのも小田氏らしいところです。
1980年代が過ぎ1990年前後になると
ラジオ離れが進むようになります。
様々な音楽を聴く機会が失われ、オリコンを
流し読みする程度へと生活が変わります。
ただCDは結構聴く機会が多く、渡辺美里、
TMネットワーク、大江千里、ドリカム、Bz、
谷村有美とたくさん買ってたくさん聴きました。
ちなみにこの頃のコンポはこんな感じです。
で、結局この頃一番好きだったアーチストは
となると「小田和正」です。
オフコースは1989年にできて間もない
東京ドームでの公演を最後に解散します。
解散後、小田和正は1986年から始めた
ソロ活動を本格化し、1990年に解散後初の
ソロアルバム「Far East Cafe」をリリース
します。このアルバムの中の「time can wait」
が私の中の分岐点となる曲となります。
それまでは甘くせつない愛の唄を奏でて
歌う感じだったのですが、この曲から、夢や
希望といった恋愛以外のテーマにも広がって
いったのです。
一方1990年の湾岸戦争のあと浜田省吾が
リリースした「その永遠の一秒に」にはどんな
メッセージが込められているのだろうかと
期待していたのですが、このアルバム以降
ラブソングがメインという流れに転じます。
ここで主軸がふたたび小田和正へとシフト
していきます。さすがに最近は少し老けた
感じはありますが、自分らしさを主張しつつも
幅広く挑戦する小田氏の姿は見習うべき
ところがあります。
1991年、当時「前代未聞」と表現される
2週間での100万枚突破を成し遂げます。
前身のオフコースも含め、小田和正自身
オリコン1位の経験はなく、前年までは
1週間に10万枚売り上げることもあまり
なかったため、恐らく発売時は100万枚を
プレスしていたものと思われます。
その状況で1週間74万枚を売り上げた為
新曲にもかかわらずCDが店頭から消える
という現象が起こりました。
ドラマ主題歌「ラブストーリーは突然に」
の人気です。
このCDをお持ちの方はご存知のことと
思いますが、「Oh!Yeah!」が1曲目で
2曲目が「ラブストーリーは突然に」に
なっており、この辺は小田和正らしい
ところです。生命保険のCMソングの
「Oh!Yeah!」は有名ではないかも
しれませんが、今でも歴代CMソングの
売上1位のはずです。
最近わかってきたのは、小田和正は
偏屈そうで、大ヒットと呼べる曲も多くは
ありませんが、どんな曲が好まれるのか
理解しているということです。
2007年「こころ」2014年「愛になる」
の制作談話からそれがわかります。
ツボがわかっていながら、媚を売るような
ことをしないのも小田氏らしいところです。
2015年8月29日土曜日
僕の好きな音楽 「浜田省吾」
オフコースを好きになる前はとにかく、いろいろと
ラジオから音楽を吸収していました。
当時はJ-POPだけでなく洋楽も聴いていました。
ロッドスチュワート「アイムセクシー」
ジョンレノン「スターティングオーバー」
中でもビリージョエルの「素顔のままで」が一番
好きでした。英語の歌詞なのに、何を歌っている
のかが伝わってくるからです。後になって翻訳
された歌詞を見てびっくりしました。
音楽はことばが通じなくても通じ合える素敵な
ツールと感じつつも、この頃から「音楽は歌詞
も重要」と思うようになり、1982年頃からは
あまり聴かなくなります。
1970年代後半BCLラジオで音楽を楽しんで
いましたが、1980年になるとステレオラジカセ
へと移行します。それはPRESSMANがWALKMAN
へと進化したことから見れば、自然なことです。
1980年になるとレンタルレコードで毎日のように
レコードを借りて聴いていた時期もありました。
オフコース以外にも、アリス、ゴダイゴ、チューリップ、
サザンオールスターズ、山下達郎、矢沢永吉
佐野元春、松任谷由実など俗にいう「ニュー
ミュージック時代」全盛期です。
それによりハードもいっきにラジカセからシステム
コンポへと移行します。
写真はチューナとアンプが一体となっており、
これ以外に、カセットデッキとレコードプレーヤー
がありました。
このような環境の中、浜田省吾というアーチストを
好きになるきっかけは、1983年阪神タイガースの
安芸キャンプのテレビ番組からでした。選手の
インタビューの後ろで流れていた「マイホームタウン」
がなぜか心をたたいたのです。
「風を感じて」の頃FMでは聴いていました。
しかしその後ラジオを聴く頻度も減り、忘れかけて
いた頃にその曲に感動してアルバムを聴きました。
「PROMISED LAND 〜約束の地」は曲だけで
なく歌詞も凄く衝撃的な曲ばかりで、歌詞が
重要と思い始めた頃だったこともあり、音楽
の深さを思い知らされました。特に最期の曲
「僕と彼女と週末に」は30年以上経過した今でも
「一番スケールの大きなラブソング」だと確信
しています。
しかし私にとって浜省(浜田省吾氏の略称)の
最大の魅力はラブソングではなく社会的な
音楽です。愛よりも夢を歌うのが私の中の
浜省であります。
アルバム「DOWN BY THE MAINSTREET」で
若者たちの気持ちをグッとさせた浜省は
「J-BOY」で私を含む多くの日本国民の
ハートをつかみます。リンダロンシュタットの
イッツソーイージー調のメロディーに重い歌詞を
ロックに歌い上げる今聞いても斬新な
「NEW STYLE WAR」で始まり安定する
社会の中の不安な若い世代を表現した
「J-BOY」までのあっという間の2枚組
アルバムで、後に対抗するように安全地帯が
リリースする3枚組とは歴然の差です。
これ以前の「Home Bound」「愛の世代の前に」
これ以降の「FATHER'S SON」「誰がために
鐘は鳴る」といったアルバムはまさに社会派
ミュージシャンとして斬新な音楽で満たされて
います。もし聴いたことがないのであれば
ぜひお薦めいたします。
ちょうどこの頃ブレークしようとしていた
ミュージシャンに尾崎豊がいます。
凄い感性の持ち主でで「15の夜」など今の
音楽に影響を残した素晴らしいミュージシャン
です。
好みかもしれませんが、浜省に浸った
私としては、浜省と比べると未熟さは否めず
早すぎた死には惜しむばかりです。
ラジオから音楽を吸収していました。
当時はJ-POPだけでなく洋楽も聴いていました。
ロッドスチュワート「アイムセクシー」
ジョンレノン「スターティングオーバー」
中でもビリージョエルの「素顔のままで」が一番
好きでした。英語の歌詞なのに、何を歌っている
のかが伝わってくるからです。後になって翻訳
された歌詞を見てびっくりしました。
音楽はことばが通じなくても通じ合える素敵な
ツールと感じつつも、この頃から「音楽は歌詞
も重要」と思うようになり、1982年頃からは
あまり聴かなくなります。
1970年代後半BCLラジオで音楽を楽しんで
いましたが、1980年になるとステレオラジカセ
へと移行します。それはPRESSMANがWALKMAN
へと進化したことから見れば、自然なことです。
1980年になるとレンタルレコードで毎日のように
レコードを借りて聴いていた時期もありました。
オフコース以外にも、アリス、ゴダイゴ、チューリップ、
サザンオールスターズ、山下達郎、矢沢永吉
佐野元春、松任谷由実など俗にいう「ニュー
ミュージック時代」全盛期です。
それによりハードもいっきにラジカセからシステム
コンポへと移行します。
写真はチューナとアンプが一体となっており、
これ以外に、カセットデッキとレコードプレーヤー
がありました。
このような環境の中、浜田省吾というアーチストを
好きになるきっかけは、1983年阪神タイガースの
安芸キャンプのテレビ番組からでした。選手の
インタビューの後ろで流れていた「マイホームタウン」
がなぜか心をたたいたのです。
「風を感じて」の頃FMでは聴いていました。
しかしその後ラジオを聴く頻度も減り、忘れかけて
いた頃にその曲に感動してアルバムを聴きました。
「PROMISED LAND 〜約束の地」は曲だけで
なく歌詞も凄く衝撃的な曲ばかりで、歌詞が
重要と思い始めた頃だったこともあり、音楽
の深さを思い知らされました。特に最期の曲
「僕と彼女と週末に」は30年以上経過した今でも
「一番スケールの大きなラブソング」だと確信
しています。
しかし私にとって浜省(浜田省吾氏の略称)の
最大の魅力はラブソングではなく社会的な
音楽です。愛よりも夢を歌うのが私の中の
浜省であります。
アルバム「DOWN BY THE MAINSTREET」で
若者たちの気持ちをグッとさせた浜省は
「J-BOY」で私を含む多くの日本国民の
ハートをつかみます。リンダロンシュタットの
イッツソーイージー調のメロディーに重い歌詞を
ロックに歌い上げる今聞いても斬新な
「NEW STYLE WAR」で始まり安定する
社会の中の不安な若い世代を表現した
「J-BOY」までのあっという間の2枚組
アルバムで、後に対抗するように安全地帯が
リリースする3枚組とは歴然の差です。
これ以前の「Home Bound」「愛の世代の前に」
これ以降の「FATHER'S SON」「誰がために
鐘は鳴る」といったアルバムはまさに社会派
ミュージシャンとして斬新な音楽で満たされて
います。もし聴いたことがないのであれば
ぜひお薦めいたします。
ちょうどこの頃ブレークしようとしていた
ミュージシャンに尾崎豊がいます。
凄い感性の持ち主でで「15の夜」など今の
音楽に影響を残した素晴らしいミュージシャン
です。
好みかもしれませんが、浜省に浸った
私としては、浜省と比べると未熟さは否めず
早すぎた死には惜しむばかりです。
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