2017年6月3日土曜日

はがきを値下げしても郵便事業経営は成り立ちます

「はがき62円に引き上げ、再値上げも視野」
というネット記事を見つけました。

確かにはがき1枚とはいえ、ポストから収集する人、
そのハガキを区分けする人、各局から基地局へ
輸送する人、基地局から基地局へ輸送する人、
基地局から各局へ輸送する人、各局でエリアごとに
振り分ける人、配達する人とたくさんの人件費や
輸送コストがかかることは事実です。
しかし私個人の意見としては、はがきと定型郵便は
コスト度外視で安価にすべきだと思います。
できればハガキ30円、定型郵便50円くらいが
理想です。
その代わりに、「ゆうメール」「ゆうパック」で
取り返せばよいのです。
何度か呟いていますが、大口契約をしているからと
言って、ゆうパック1個200円や300円で
受けるのは絶対ダメです。
割引であってもレターパックプラス(510円)より
必ず高い価格設定にしなければ、いつまでたっても
健全な企業とは言えません。

郵便局がバイク、自転車で配達するのはハガキと封筒
だけではなく、レターパック、ゆうメールやサイズの
小さいゆうパックも配達しています。
他の商品を統合して大口割引も含めて、価格管理を
すれば、ハガキや定型がいくらであろうと経営は
成り立ちます。
価格をあげて一層のハガキ離れを促進するよりも
手軽なものにして、需要を掘り起こす努力をしない
発想がまったく理解不能です。

2017年6月2日金曜日

「こども保険」から見るバカ政治

昨日テレビで「こども保険」について
とりあげていました。
「こども保険」は小学校に入学するまでの
教育費の負担を軽くしようというもので、
社会保険料から年収400万円の世帯では
月々240円、負担します。そのかわり、
小学校入学前の子どもがいる世帯には1人
あたり毎月5000円が支給されます。
最終的に子ども1人に2万5000円を
支給することを目指しています。

これには負担しても独身や子供が小学校に
入学した後であれば、負担しかない制度で
不公平感があるため賛否両論だそうです。
しかし、根本的におかしくないですか?
「毎月5000円支給」という部分です。
結局バラまきのギカ政治です。
これを主導しているのが、次世代の日本の
リーダーと思っていた小泉進次郎氏と知り
さらにガッカリです。

中絶禁止、中学生までの給食費無料など
思い切った制度改革が必用と主張しましたが
バラまきはダメです。
お金を支給するのではなく、保育園、幼稚園の
無償化をすべきで、それをするためにまずは
公立の保育園、幼稚園を整備し、保育士の
待遇を改善て全国の待機児童を失くすことを
優先せねばなりません。
こどもの環境をよくする政策で不公平感が
生じることは当然のことだと思います。
しかし、バラまきだとこどものためのお金が
こどものために使われないことが、現在も
生じています。
政治家は税金をもっと考えて、大切に使って
ほしいものです。

2017年6月1日木曜日

天保山渡船(後編)

天保山渡船から見たウォーターフロント








桜島上屋






桜島上屋


桜島桟橋手前

桜島桟橋手前








桜島桟橋
















天保山、コスモスクエアの風景を楽しむのもつかの間
此花区桜島の上屋が近づくと桜島桟橋に到着です。
折り返し天保山へ向かうために舟を待つ人も10名近く
いました。
帰路は天保山大橋方面にカメラを向けひたすら撮影
しました。

天保山渡船 桜島から天保山へ





天保山渡船 桜島から天保山へ

天保山渡船 桜島から天保山へ

天保山渡船 桜島から天保山へ

天保山渡船 桜島から天保山へ

天保山渡船 桜島から天保山へ

天保山渡船 桜島から天保山へ

天保山渡船 桜島から天保山へ
天保山渡船 桜島から天保山へ
天保山渡船 桜島から天保山へ

天保山渡船 桜島から天保山へ



天保山渡船 桜島から天保山へ


天保山渡船 桜島から天保山へ








2017年5月31日水曜日

天保山渡船(前編)


















港区築港と此花区桜島、安治川を渡る天保山渡船
の画像です。最近では生活の足としてだけでなく
徒歩で海遊館とUSJを結ぶ裏ルートや、フォト
スポットとして観光的な需要もある渡船です。

天保山岸壁








天保山渡船 天保山桟橋


天保山渡船 天保山桟橋

天保山渡船 天保山桟橋

天保山渡船 天保山桟橋












待合室内の時刻表は変更になっている場合が
ありますので、ご了承願います。
待合所の前から安治川上流を望むと、弁天町など
大阪市内の高層ビル群が遠くに見えます。
所要時間は約2分、船の出入りが多い川なので
時間帯によっては揺れることがあります。
お昼前に乗船しましたが私を含めて自転車7名、
歩行者1名でほぼ外国人が乗船しました。
欧米人が多いのはUSJの職員の通勤なので
しょうか?

出港すると左側に天保山岸壁、海遊館のほか、
遠くにはコスモスクエアも望めます。

天保山渡船 天保山桟橋








天保山渡船







天保山渡船から天保山を臨む















天保山渡船から大阪港を臨む








2017年5月30日火曜日

甚兵衛渡船











港区にはふたつの渡船があります。
今日はそのうち「甚兵衛渡船」についてご紹介
します。

甚兵衛渡船












尻無川の対岸、大正区泉尾と港区福崎を結びます。
平日のお昼過ぎに乗船、私以外は男性2名と
女性1名の合計4名、うち徒歩の方1名の乗船
でした。
大正側が親港で港区を折り返すかたちで
所要時間は約1分、小さい川で波もありません
でした。
午前中は女子高生が多かったので、港区から
大正区の高校への通学の足となっているようです。

甚兵衛渡船

甚兵衛渡船甚兵衛渡船



甚兵衛渡船

甚兵衛渡船













港区側の桟橋から見た尻無川水門の風景と
待合所を撮影しました。
時刻表は変更になっているかもしれませんので
ご了承願います。

尻無川水門







甚兵衛渡船







2017年5月29日月曜日

引退と生涯現役

プロゴルファー宮里藍選手の引退会見を見ました。
「お疲れさまです。」
笑顔での会見でしたが、すごく辛かったんだろうな
というのが、素人の私にも感じられる内容でした。

引退後何年かして復帰ということがありえるか?
の質問に「今は100%ないと思っています。」
と少し歯切れ悪く答えていました。
これは今の宮里選手に聞いても仕方ない質問だと
思います。

好きでやってきたことに対して、限界を感じて
辞めたところで、それが好きであるならば
またやり始めるのです。

この具体例が、映画監督宮崎駿氏です。
4年~5年のスパンで作品を作ってきましたが
年齢的に考えて同じ作業をあと5年続けることは
無理だと考えての引退でした。
おそらく1作、1作に対するエネルギー消費は
想像を絶するものであったでしょう。
引退当初はこれでよかったと思っていても
半年もすれば「退屈」という名の苦行が待って
います。
最初は映画制作以外のことをしようとしても
結局は長年体に染みついて、大好きな映画を
やりたいとなってくるのです。
これが「人間」です。

引退する時に、この心境は想像もできません。
だから、あの質問は無駄な質問なのです。
質問する人を責めているわけではありません。
宮里選手も何らかのかたちで復帰するとは
思いますが、躊躇うことはありません。

もし、宮里選手くらいの世代で、好きな仕事に
就いて、会社で働いている人が疲れて辞めたく
なった場合は、もう一度考えてみてください。
それが好きなのであれば、他のことをしようと
しても、必ずまたその仕事がしたくなります。

2017年5月28日日曜日

試合の終了予定時間が21時08分なのに20時50分終了するテレビ中継

先日呟いた「サンテレビのポジション」
サンテレビは試合終了まで放送するが
他のテレビ局は試合終了まで放送しない
と不満を述べましたが、NPB(日本野球機構)
のホームページにあるデータがありました。
延長を除く平均試合時間は3時間8分だそうです。
18時試合開始なので試合終了の平均時間は
21時08分ということです。
この状況で21時から次の番組を組んでいる
放送局は視聴者から苦情がでて当然です。

サンテレビ以外の阪神戦を中継するテレビ局で
もっともこれに該当するのが毎日放送、関西テレビ
よみうりテレビです。

昨日は毎日放送が14時開始のデーゲームを
15時30分から17時30分の放送枠で放送し
試合終了には間に合ったものの、見せ場の序盤は
放送開始前という悲劇に見舞われました。

関西テレビは祝日のデーゲーム最大3時間50分の
放送枠となるなど例外もありますが、基本試合開始後
2時間50分です。

朝日放送は一部リレーナイターてして最初と最後を
サンテレビに委託しています。これに納得する
ファンは多いですが、私に言わせると、「最初から
サンテレビに放送させろ」です。
特に今日は最後のリレーがないので、試合が長引いた
場合は放送されない見込みです。

テレビ大阪は試合終了まで放送はしませんが、
18時試合開始の場合21時以降はサブチャンネルで
視聴が可能です。NPBのデータは流石なもので
サブチャンネル放送中に試合は終了します。

この点からサンテレビ以外の阪神戦中継局を総括すると
「テレビ大阪は責任を果たしている。毎日、朝日、讀賣、
関西テレビは無責任」と言わざるを得ません。