1985年ランディ・バースの活躍で
阪神タイガースが日本シリーズを制しました。
圧倒的な打撃力を脅威に感じた
プロ野球を裏で制御する読売グループは
対抗措置として「新ストライクゾーン」を
提唱し、翌シーズンからは低めの
ボール球もストライク判定にすると決めました。
その影響でプロ野球の流れがかわるさなか
遥か遠くの当時のソビエト連邦で
歴史的な大事故がおこります。
1986年4月26日運転中の
チェルノブイリ原子力発電所が
メルトダウンの後大爆発を起こし
ソビエト及び周辺国が放射能に
汚染されたのです。
福島第一原発事故の原因は
電源を喪失したためですが、
チェルノブイリの事故原因は
非常用電源での運転テストを
している中で制御不能になった
ためでする
当時は、今の中国や北朝鮮よりも
厳しい社会主義国家体制であったため
事故の情報を遮断し、隣国からの指摘で
2日後の4月28日に事故を発表、
事故を知らなかった発電所周辺の
住民全員が被ばくしました。
この事故を契機に日本でも
原子力発電所は本当に安全なのかと
疑問視する声があがりましが
当時のマスコミは
「事故は運転中のものではなく
日本では安全の対策が十分に
なされているので事故はおこらない。」
という趣旨で特に再点検を即す見解はなく
国民も遠くの火事という感覚でした。
しかし音楽では浜田省吾の「NEW STYLE WAR」や
RCサクセションの「サマータイム・ブルース」など
この後反原発ソングが何曲かリリースされます。
特にRCサクセションのアルバム「COVERS」は
発売元の東芝自体が原発企業のため
「素晴らしすぎて発売できません」と広告を出し
発売中止となってしまいます。
そしてRCサクセションの忌野清志郎が
この世を去って3年後に
福島第一原発が事故を起こします。
これまで「日本の原発は安全」と言っていた
人々が「原発は危険」と言い始めます。
原子力発電所が安全といいきれる
ものでないことは、チェルノブイリから
なぜ学べなかったのでしょうか?
今ではなく、その時に少しでも
声をあげていれば、原発に対する
目が厳しくなり、運転する側も
もう少し緊張感を高めることが
できたと思います。
それで福島第一原発の事故が
回避できたかどうかはわかりませんが
想定した津浪より
低い堤防にしなかったでしょうし
電源が喪失した際に
非常用電源が発電できなかった
こともなかったかもしれません。
チェルノブイリの事故から
25年近く原発を許容したわけですから
これを急に取りやめることは
逆にリスクを生みます。
ただ流されるのではなく
国民ひとりひとりが、
もっと事実を知る必要があると
思います。