1985年、プロ野球において
阪神タイガースが球団創設50周年で
初の日本一になった年です。
4月17日は当時のクリーンナップ
バース、掛布、岡田が巨人の槙原投手から
バックスクリーンへ3者連続本塁打を
放ってから30周年です。
それに合わせて、アメリカから
当時の3番打者バース選手が
来日しました。
「神様バース様とかいうけど3番打者だから
たいしたことないんじゃないか」と
思うかもしれませんが
日本一になった年は打率3割5分、
打点134、本塁打は54本で三冠王になり
翌年は打率3割8分9厘でイチローすら
越えられない日本記録で史上初の
2年連続3冠王に輝いています。
当時甲子園球場はラッキーゾーンといって
両翼の深いところのスタンド前にフェンスを作り
ホームランが出やすくなっていました。
もちろん、それを考慮するとホームラン
54本は少し過大評価かもしれませんが
バースのホームランの特徴は
ライトスタンド中段へライナーを突き刺すか
レフトアルプススタンドの一番外野側最前列に
浜風に乗せ大飛球で放り込むかであり
ラッキーゾーンへの記憶はあまりありません。
打率を見てヒットを量産していたことは
バースを知らない人も想像がつくと思いますが
バースは打撃戦の試合よりも
投手戦のほうが活躍した印象があります。
今でいうと福留選手がデフォルメされた
感じです。
当時は1番打者の真弓と3番打者のバースが
空気を読まずめちゃめちゃに打っていたので
最近の阪神からは想像できませんが、連続して
点をとれず敗れることがありませんでした。
私が最後に観戦した日本シリーズ第3戦も
敗れはしましたが、バースはホームランを放ち
雰囲気は悪くなりませんでした。
バースの弱点は守備という人もいましたが
そんなにチョンボをした記憶もありません。
逆に相手チームが送りバントする場面では
テレビ中継で投手と打者のアングルに
入り込むくらいのダッシュをして
それがプレッシャーとなり送りバントを
失敗させるシーンが数多く思い出されます。
で、なぜバースは3番だったのか。
それはバースが希望したと言われています。
「4番掛布、5番岡田と強打者が続くため
投手は逃げることができない。
だから、必ず自分と勝負してくる。」
それを計算して敢えてストライクでくる
確率の高い打順である3番を欲したのです。
1985年はこの協力クリーンナップが
3人とも敬遠されてもなんとかなるように
元首位打者の長崎選手を6番に据え
日本一をとる試合で功を奏することに
なります。
昨年、阪神タイガースは助っ人の力で
日本シリーズを制したと言われていますが
マートンとゴメスを合わせても
バースのレベルには達しません。
逆に投手力が充実した今
バースのような打者がいると
常勝球団になれるのですが。。。