2015年3月1日日曜日

最高裁判決について

弁護士&元裁判官の法廷じゃ絶対聞けない?
と題して某番組で最高裁を再考する企画を
しておりました。

新聞、ニュースでもとりあげられているように
民間の意見を取り入れる目的ではじまった
裁判員裁判ですが、ここのところ
地裁、高裁での判決を最高裁がひっくり返す
ケースが増加し、死刑判決が減刑される
事象が多数おきています。

裁判員となった一般庶民が殺人現場の画像を見て
心を傷つけられる被害者となっています。
どうして裁判員裁判をしているのかという思いは
別にして、この制度自体が犯罪ではないかと
考えます。

さて、今回この番組で、法的に
正しい、正しくないということを討論していましたが
道徳的な視点で捉えていないところが
気になりました。

たとえば、卒業式で君が代を斉唱しない教師に
最高裁が停職等を下したことに対してです。
「それが思想的なものなら罪は問えない。
それを見た卒業生も思想について
将来考えることができる。」と言います。
しかしみんながしていることを
一部の不良学生がしていないのではなく
教師がそういう態度をとっているのです。
式典で皆が起立していても座ったままで
シカとしていてもいいのだろうと思い
学生を社会に送り出しているのです。

法律とか裁判抜きにして
常識的に道徳的に正しい行動ではありません。
頭のいい人が多いがため
かえって問題がおかしくなるのでしょう。

そうなると裁判員裁判も
必用なことかもしれません。
ということは
最高裁判決が危険なのかもしれません。