2015年8月28日金曜日
僕の好きな音楽 「オフコース」
今日からしばらく僕の好きな音楽について
を語ります。最初はオフコースです。
小学生の時、病気で入院しました。
当時は子供部屋5人の中で男子は私だけ
だったので、部屋に1台しかないテレビは
実質見ることはできません。
そんな入院生活を充実させてくれたのが
AIWAのラジカセでした。
同じ部屋の女の子から教えてもらったのが
大阪では朝日放送が日曜日朝9時から
放送していた「不二家歌謡ベスト10」でした。
ロイ・ジェームスという外国人が流暢な
日本語で45分間に今はやっている曲を
いっきに流すスタイルです。
ちなみに最初に聴いた放送の1位は
山口百恵の「冬の色」でした。
これをきっかけに朝日放送をよく聴くように
なり、20時の消灯後もまだテレビ化される
前の萩本欽一氏の「欽ドン」や「ヤンリク」
を聴くようになります。
この頃のヒット曲は今もかなり覚えています。
春以降は野球中継も聴くようになり、これが
きっかけで阪神タイガースのファンにも
なりました。
退院後もラジオにはお世話になりました。
その後のBCLブームにあわせて海外短波
放送を聴いて「ベリカード」なるものもよく
集めました。最初は朝日放送にチューニング
する時よく聞こえてきた「北京放送」を聴いて
いましたが、親に無理を言って高価な
SONY ICF-6800というラジオを買って
もらいました。
しかしこの海外放送を聴く高性能なラジオが
私をあたたびJ-POPへと誘います。
見ての通りモノラルスピーカーなのですが、
当時の高級コンポーネントステレオに相応
する音質で、これでFM放送を聴くうちに
短波からFMへとシフトされていきました。
そのような生活を送っている時に出会った
1曲がオフコースの「秋の気配」です。
野球中継が雨天中止になると、マイナー
なミュージシャンの音楽を流す番組があり
たぶんその中の1曲として聴きました。
「出会い」といいながら最初はあまり印象
がなかったのです。ただ、どこか心の底
に残っていたのだと思います。その年の
冬の初めころ、体が弱く耐寒登山に参加
できず、学校で午前自習登校し、下校後
ラジオからもう一度聴いたときに「好き」
というよりも、自然と何度も何度も口ずさんで
しまうのでした。
その後「愛を止めないで」「さよなら」と
オフコースは誰もが知る存在になります。
しかしながら、私がオフコースを好きに
なったのはそのあとの「Yes-No」という
曲がトリガーとなります。
「Yes-No」もラジオで聴いている時は
いい曲とは思っていましたが、学内の
合唱コンクールで歌うため、レコードを
買って魅せられました。子供ながらに
Yes-Noという歌詞がないのになぜ
「Yes-No」なのか、イントロがムード
あるフリューゲルホルンから急変して
エレキギターで激しく奏でるのかなど
が理解でき、音楽の表現の面白さを
知らされる1曲でした。
その後発売された「We are」を購入後
過去のアルバムをレンタルして全曲
聞き、以降のアルバムはすべて持って
います。