2018年5月16日水曜日

京都大学の立て看板撤去から見えるエリートの愚かさ

理学部2年の男子学生(20)が抗議文書を張り出し
「条例を理由に立て看を規制するのは明らかにおかしい」
と話した。「今はインターネットメディアが台頭し、
立て看板が自然に廃れるのは仕方がない。けれど、
上からの圧力でなくなるのはおかしい」と首をかしげる。

これは京都府の条例に従い京都大学周辺に
設置された「立て看板」撤去したのに対する
学生の声として紹介された新聞記事です。

要は「法律に従うのはおかしい」
と言うのです。
これがすべてエリートの思考とは言いませんが
省庁の隠蔽や改ざんが相次ぐ状況は
エリートと呼ばれる人の多くは
人として大切なものを失っている気がします。

日大の「暴力タックル事件」も
選手はあれをスポーツと思っているかも
しれませんが、明らかな「犯罪」です。
今年度から道徳の授業が教科となったことには
賛否両論あるようですが、
少なくとも私は教科でないから
道徳や善悪は関係ないと思わなくなるだけ
ましな世の中になると思います。