2016年1月8日金曜日

自殺について

学生が冬休みを終え、昨日始業式がありました。
そんな今日、心斎橋商店街のアーケードに制服の
若い女性が転落したと通報がありました。
大丸心斎橋店北館(旧そごう)の屋上から柵を
乗り越える映像が記録されていることから、警察は
自殺とみて捜査をしております。






















非難されるかもしれませんが、宗教思想の自由から
述べさせていただきます。
私は、神も仏も存在しないことを知っています。
人間は他の動物と違い頭がいいから、そのような存在
を創り出し、救いを求めようとしますが、それは各々の
脳内で思い描く幻想です。
だからこそ、宗教による紛争もおこっているのです。

私以上に不幸な方に申し訳ありませんが、私自身
死にたいほどつらい事は今までも、今もあります。
しかし、死んでやり直すことはできません。
たとえ明日が今日より辛くても、明日に進みます。
私の残りの人生はもうそれほど残っていないと思います。
それだけに、まだ未来ある若い人が自らの命を絶つほど
悲しいことはないと思います。

今日は最後に私以上に辛い日々を過ごしている人たちへ
歌を送らせていただきます。(東日本大震災復興応援より)








2016年1月7日木曜日

2015年活躍したスポーツ選手

ある統計で2015年活躍したスポーツ選手として
ラグビー日本代表の五郎丸歩選手が選ばれた
そうです。

しかし私はフィギュアスケートの羽生結弦選手が
昨年最も活躍した選手だったと思います。
2014年2月オリンピック金メダル獲得以降、
常にトップを走り続けているため、勝つのが普通
という状況の中、昨年末は大怪我、今年初めは
病気から手術と決して体調が万全とは言えない中
最終的には、今後越えられないかもしれない
世界最高得点をたたき出しました。
もちろん4回転ジャンプは誰にでもできるものでは
なく、才能と練習の結晶といえます。しかし彼の凄さは
2014年末でも申したとおり、精神力の強さです。
体はか細く、吹けば飛びそうな感じではありますが
精神力は決して揺らぐことの無い大樹の如くです。
2018年のオリンピックも直前に大怪我でもしない限り
間違いなく金メダルを取れるであろうという確信を
私に与えてくれた2015年であったと思います。

羽生選手に次いで活躍したと思ったのは、体操の
内村航平選手と白井健三選手です。内村選手は
羽生選手同様に活躍して当たり前の選手なので
目立ちませんが、昨年末の世界選手権で三つの
金メダルを手にし、日本人体操選手最高のメダル
獲得者となりました。体操界は年々難度の高い技が
日常化してレベルアップしている世界です。
もちろん内村選手もどんどんと難しい技に挑戦し
昨年の世界選手権では試合中に落下やケガをして
順風満帆ではなかったものの結果はきっちりと
残しました。
もうひとり挙げた白井健三選手は高校生の頃から
自身の名前がついた技を繰り出し注目されて
いましたが、今年は世界的にも王者、内村選手を
射程圏とするところまで上り詰めました。彼の活躍
があったからこその世界選手権団体金メダル獲得と
言っても過言ではありません。

テニスの錦織選手、野球の岩隈投手と他にも活躍した
選手が多数いる中、五郎丸選手が本物かどうかは
エディー・ジョーンズコーチが去った今後の活躍次第
だと思います。

2016年1月6日水曜日

北朝鮮 水爆実験失敗

北朝鮮国営の朝鮮中央テレビは、日本時間の午後0時半から
「特別重大報道」として臨時ニュースを伝え、 日本時間の6日
午前10時半、北東部で初めての水爆の実験を行ったと発表
しました。
北朝鮮が水爆の実験を行ったと明らかにしたのは初めてです。

誇らしげな報道から見て、実験自体は成功したのでしょうが
実質は大失敗です。
恐らく北朝鮮は水爆実験により、周辺国、とりわけアメリカに
国力、軍事力の凄さを見せつけたかったのでしょうが、それは
30年前の手法です。
逆に、実験した場所は中国、ロシアから近いこともあり、欧米
だけでなく、中国、ロシアからも非難される声明がでるものと
予想されています。

指導者である キム・ジョンウン(金正恩)の好みで、このような
手段にでているのかもしれませんが、通常の武力では、どう
アピールしようと北朝鮮は欧米に劣ります。

地下から地下へ運ばれた爆発物
国家に養われたテロリスト
成層圏に軍事衛星
It's A NEW STYLE WAR
ひび割れた原子力
雨に溶け風に乗って
受け止めるか立ち止るか
どこへも隠れる場所はない
It's A NEW STYLE
It's A NEW STYLE WAR
これは約30年前の浜田省吾の曲の歌詞の一部です。
北朝鮮が軍事力で優位に立つには、テロリストをコントロール
することしかないと思います。

最近キム・ジョンウン(金正恩)の側近が処刑や左遷されている
のは、恐らく周囲も現在の北朝鮮の動向に疑問を持っており
キム・ジョンウン(金正恩)自身もそれを感じてのことだと思います。
こういった実験を重ねるごとに、北朝鮮は対外的にも内政的にも
不利になっていることを理解しているのでしょうか?

2016年1月5日火曜日

大阪ドームの畔

港区から尻無川沿いに大阪ドームへ向かい
なんば方面へ向かうと「岩崎橋」という橋が
あります。橋を渡る手前の遊歩道へ入ると
川の畔を歩けます。

港区から尻無川沿いに大阪ドームへ向かう
















岩崎橋
















大阪ドームの畔
















ガスタンク越しの大阪ドーム















左手にはガスタンクのすきまから
大阪ドームが見えます。
もともと、大阪ガスの土地と間を縫う道路の上に
大阪ドームをつくったので、このようなレイアウトに
なっています。

岩崎橋を臨むカモメ















岩崎橋の方向を振り返ると「!?」

カモメ















海から離れているのにカモメを発見しました。

カモ
















きれいな川ではありませんが、カモもいます。

飛び立つカモメ
















カモメは1羽ではなく複数確認しました。

遊歩道
















飛び立つカモメを追い東へ歩きます。

岩松橋の上にカモメの大群発見
















岩松橋の上にカモメの大群発見

岩松橋の上にカモメの大群発見
















どうやら、ここを住処にしているようです。

2016年1月4日月曜日

あゝ、勘違い

11月に予告したとおり、昨年末の紅白歌合戦は
最低の視聴率を記録したようです。
やはり狙いを勘違いしていたのです。
「企画に新鮮さがない」という意見が多かった
ようですが、テレビ出演するしないにかかわらず
その年の話題曲やミュージシャンを繰り出すことが
紅白歌合戦の基本だったと思います。これを怠り
企画ありきで展開しているところが、まず勘違い
なのです。
あまりテレビに出演しないミュージシャンに出演
してもらうには、普段からの繋がりを持つことが
重要です。つまり、今年の紅白歌合戦はもう
すでに始まっているというスタンスでないと、
今年も昨年のような結果になるはずです。

勘違いといえば安倍総理の本日の記者会見で
「もはやデブレではない」と言いながら、記者から
の質問では「デフレ脱却というところまで来て
いないのも事実だ」と発言し、なんとも歯切れの
悪い年頭会見でした。これはデータ的には
微かによい数字になっているので、デフレ脱却を
しているように勘違いしているものの、地方を
中心に景気回復感がわかないことの不満の声を
考慮して後者の発言がでているものと言えます。

安倍総理の年頭会見の勘違いといえば、
「東京オリンピック」を「日本オリンピック」と言い
違いそうになったことです。
「東京=日本」ということを考えていては、地方創生
などできません。
今日は「1億総活躍」という言葉がでたものの
「地方創生」という言葉は聞かれませんでした。
恐らく、地方創生では結果がすぐ出ないので
力を入れられないのでしょう。しかし、そこが
デフレ脱却のキーポイントなのですが・・・。

2016年1月3日日曜日

個から集団への変化はいつ起こったか(アイドル編)

アイドルについての個から集団の変化はいつ
起こったのでしょうか?
1962年自ら指導していた少年野球チームから
結成された「ジャニーズ」4人でした。
1965年の紅白歌合戦出場まで上り詰めますが
今の集団アイドルとは少し立ち位置が違うように
思います。
1966年ビートルズが来日したのち、そのコピー
バンドともいえるブーム、所謂グループサウンズ
の時代が到来します。アイドル的とはいえ
これも現在のような集団アイドルとは少し異なる
と思います。
キャンデーズ、ピンクレディーといったユニットは
当時の女の子は歌いたくても人前でひとりで
歌うのが恥ずかしかった時代背景からヒットした
ところから、これらも集団アイドルとは言えません。

今の流れの始まりは1985年、奇しくもAKB48
をプロデュースする秋元康氏が若き日に
プロデュースした「おニャン子クラブ」とするのが
適当だと思います。
実は、おニャン子以外にも、この頃集団美少女
グループは多数存在しましたが、アングラ的な
もので、例えると、芸能界がプロ野球とすれば
地方の独立リーグプレーヤーのような存在です。
ただ、当時一世を風靡したおニャン子クラブも
1987年には解散する流行的なものに終り
ました。

このまま集団アイドルの灯を消さなかったのは
男性7人のアイドル「光GENJI」です。
彼らも短命ではあったものの、1988年
年間シングルチャートベスト3を独占し、その後の
1990年代SMAP、TOKIO、KinKiKidsと
ジャニーズアイドルの地位確率の橋渡しをします。

そしてターニングポイントは1997年某テレビ番組
の「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」
です。番組ではオーディション裏側を曝け出した
ドキュメント放送をしており、優勝者決定後に
優勝を逃した5人にスポットを当てていきます。
この5人に過酷な指令を出しクリアできれば
オーディション失格者ではあるものの、デビュー
させるといういわば「敗者復活戦」という当初の
企画から外れた番組展開になったものの
視聴者の応援が過熱して誕生したのが
「モーニング娘。」でした。さらに番組は1998年
デビューシングルがヒットするとさらにオーディション
でメンバーを追加して8人にします。
完成したアイドルを見るのではなく、デビュー前
からみんなでアイドルをつくるという発想が
ウケたのです。

そして「モーニング娘。」人気がダウンする中
人気をあげて行ったのが、AKB48です。
モーニング娘。の「みんなでつくりあげる」
「メンバーが変わってもグループは存続」などの
性質をさらに高め、握手、選挙といった議員
のような活動をしてファンとの距離を近づけて
2010年にブレークを果たします。
一方男性アイドルでは1999年デビューした
「嵐」が2007年にブレークし、ジャニーズの
地位を不動のものとしました。

アニメとは違い「いつ」とはっきり断定は
できませんが、男性は1987年、女性は
1998年頃というのが私の見立てです。

2016年1月2日土曜日

個から集団への変化はいつ起こったか(ヒーロー編)

アメリカのヒーローはひとりだが、日本のヒーローは
複数が一般的と言われています。
これはアメリカがスーパーマン、バッドマンなどに対し
日本は戦隊ものが流行っているからです。
最近の仮面ライダーやガンダムは必ずひとつの作品
の中に複数存在しています。
しかし、日本のテレビ番組はもともとアメリカを倣って
きたため、赤胴鈴之助、月光仮面、ウルトラマンと
単体ヒーローで溢れていました。
いつから変わったのでしょうか?

今から40年以上前の1975年が、転換点と言えます。
この年東京のテレビ会社NETが大阪の朝日放送と
提携したテレビ朝日になったため、大阪の毎日放送が
放映していた仮面ライダーアマゾンが打ち切られ
次の仮面ライダーを複数にする案が浮上しました。
しかし、これまでの伝統からこの案が没になって
次の作品の「仮面ライダーストロンガー」は
それまでの単体ヒーローを踏襲し、初期仮面ライダー
シリーズの最後の作品となります。
一方、毎日放送が制作していた仮面ライダーを
東京で放映していたテレビ会社は朝日放送系列となり
放映できなくなったため、東映の複数ヒーロー案を
受け入れて作ったのが「秘密戦隊ゴレンジャー」です。
この後「戦隊シリーズ」と呼ばれる複数ヒーロー特撮
は、現在も継続中です。
翌1976年東京12チャンネル(現テレビ東京)で
放映されたヒーロー特撮の「忍者キャプター」は
1972年10月から1年間NETで放映されていた
ヒーロー特撮「レインボーマン」の7つの能力を
7人に分散されたスタイルになっており、正義の
権力が分散されたことを象徴しております。

以降、一人で悪の組織に立ち向かうのではなく
みんなで悪をやっつけるというスタイルが定着
していくのでした。