2015年8月10日月曜日

中日ドラゴンズ山本投手がんばれ!

阪神ファンである私ですが、中日ドラゴンズの
山本昌投手は陰ながら応援しております。

昨日は今季初登板初先発でまた最年長記録
を塗り替えたものの、1回途中で投げ終わった
左手を自分の体にたたきつけ突き指をして
2回途中で投球続行不可と自ら判断して降板
しました。

突然の降板にも関わらず先発ローテーション
の投手がそのあとマウンドにあがったため
最初から中日は山本投手がすぐに降板する
ことを想定していた、つまり信用していなかった
という説が報道されています。
しかしスクリューボールを軸に投球を組み
腕を振る山本投手は、全盛のスピードからは
衰えているものの、まだまだ一流の投球だと
思います。

解説者の野村克也氏は「投手はスピードが
なくてもコントロールがあれば抑えられる。
若い投手は全員これを見て勉強すべき」と
賞賛していましたが、一昨日、150キロの
直球が真ん中に集まり立上り失点しながら
その後変化球を軸に9勝目をあげた藤浪
投手を見た後だけに、この発言は納得でき
ます。

ただ気になるのは山本投手のしぐさです。
体自体も表情もここ数年と何も変わらない
のですが、しぐさに落ち着きがないように
思います。
あとどれだけマウンドに立てるかわからない
という思いが、プレッシャーとなり焦っている
ように見受けられます。たとえば投球を終え
ベンチに帰る時の歩き方や、投げ終えた後
捕手からボールを受け取る時などの姿が
微妙に落ち着きなく感じるのです。
おそらく投げ終えた手を体にぶつけたのも
関連しているような気がします。

投球もいいし、体に故障がないのなら必ず
先発投手として役割を果たせると思います。
山本投手がんばれ!

2015年8月9日日曜日

昨日の甲子園球場での試合中断より

昨日の第4試合では豪雨では試合を続けた
ものの、落雷により試合が中断されました。
「地震、雷、火事、親父」とはよく言ったものです。

8月8日甲子園球場













そんな中、「この雷を電力として利用できれば
原子力発電に頼らなくてもよいのでは?」
という書込みがネットでありました。

確かに自然界が生み出す規格外の力です。
蓄電技術も遅れていますから、これを取り込む
ことは望めません。
しかし、雷が発生するメカニズムがわかれば
人工的に同様の現象を発生させて、疑似落雷
で発電できるのでは?と少し調べてみました。
と無知な私を曝け出してしまいました。
残念ながら雷がどうして発生するのかは
未だ解明されてなかったんですね。
多くの支持を得ている理論はあるそうですが
まだ本当のところは、わからないようです。

だから、地熱発電や風力発電があっても
雷発電はないんだなと納得したのですが、
大気流発電という大気から電気を取り出す
実験はなされているようです。

私は科学系は苦手ですが、次のエネルギー
は雷かどうかは別にして、科学的なもので
あると予感します。
東日本大震災を機に原発離れを狙う日本は
世界の先陣をきって新しいエネルギーを
実用化してほしいものです。

2015年8月8日土曜日

地方交通の運営の難しさ

最近1985年阪神タイガースの日本シリーズを
動画サイトで見る機会があり懐かしく感じて
いました。思えばシリーズ第3戦以来甲子園で
観戦しておりません。
その時わけあって四国の屋島駅付近に住んで
いました。あとで聞いたのですが、その裏にあった
中学校にタレントの松本明子さんが通っていた
そうです。
今日は当時列車を待っている時なぜか警官から
職務質問もされたことのある屋島駅にちなんだ
呟きです。

大阪の鉄道計画の脆弱さを指摘する話をよく
しますが、屋島駅のような地方駅は特に深刻です。
高松市内で高松駅以外ではこの屋島駅と栗林駅
がメインの駅でありながら1日の屋島駅の乗降は
1000人強と大阪で黒字を見込む1万人の10%
にとどまります。有人駅でこの人数では正直経営
は厳しいと思います。

今後JR四国が有人駅で損益を出さないためには
昨年提携したセブンイレブンを駅舎に組み込み
店員に駅業務も兼務させることだと思います。
さらに列車に乗るためだけの駅ではなく、列車に
乗ったついでにプラスアルファのことができるように
しなければならないと思います。
そのためにコンビニだけでなく薬局やカフェなどの
チェーンとも提携して、列車が来るまでに時間を
楽しめる空間にすれば、私が職質を受けたような
雰囲気を払拭できると思います。

また高松市内のコンビニでは見かけませんが、
駅舎に入居するコンビニの駐車場はコイン式
パーキングにして30分以上を有料とします。
これにより駅を活性化して、駅前は乗降場所で
訪問は列車を使用しなければいけないという
位置づけをするのです。

駅舎についてはたいてい土地に余裕があるので
橋上駅にして駅の上にスペースを作れますし
駅前もたいていロータリー程度の広場はあるので
大丈夫かと思います。橋上駅構造にすることにより
駅舎と反対方向にも駅への進入経路を設ける
ことができます。

香川県に限らず地方都市の特徴は昔からの街は
道路拡張や土地活用ができないため、従来の街
から遠い場所にバイパスと称して高規格道路や
大型商業施設がつくられる傾向にあります。
これによってたいていの地方鉄道の駅は狭くて
古い町中にあることが多いのです。
地方の鉄道が生き延びるためには、過疎化による
人口減少だから仕方がないと思わずに、どうすれば
魅力ある鉄道になるかを展望しなければ、鉄道も
地方都市も未来は明るくなりません。

2015年8月7日金曜日

放射能は見えない

昨夜の広島対阪神戦で広島カープの
全選手が背番号86をつけてプレー
していました。
あれはどういう意図なのかまったく
わかりません。

もちろん1945年8月6日広島に原爆
が投下され多くの人がなくなり、多くの
人が後遺症に苦しみました。私も平和
公園を訪れた際、後遺症でテレビでは
映し出せないような外見の人と過去に
ご挨拶をした経験はあります。
この事実を語り継ぐために、8月6日に
セレモニーをすることは理解しますが
それをユニフォームとして纏い、野球
をすることがどういうことなのかが
わからないのです。

国会で今なお原発再稼働を世間は
反対していると主張しています。
まさかとは思いますが、再稼働しないと
安全と思っているのでしょうか?
福島第一原発事故の報道を見て
ご存知の通り、稼働していた原発が
メルトダウンしましたが、運転していない
原発も危険な状態にありました。
燃料を保持している限り、放射能が
漏れる可能性はあるのです。

危険なのは再稼働しないことにより
日本の原子力発電や放射能に対する
技術力の低下です。原発に対して
後ろ向きになればなるほど、人材の
レベルが低下して、今後核燃料を廃棄
した後に地震等が起こって破損して
しまったり、中国沿岸部の原発が
メルトダウンした場合に迅速な対応が
できなくなってしまうのです。

何度も言う通り原発再稼働には賛成
ですが、原発依存には反対です。
しかし運転停止した原発の燃料を
取り出すのに時間がかかるように
原発はいけないからすぐにやめましょう
と言ってやめられるものではないと
いうことを理解する必要があります。

2015年8月6日木曜日

戦争について 戦後から現在

戦争で敗れ廃墟となった日本を救ったのは
戦争でした。

太平洋を管轄下にしたいアメリカと太平洋に
国土を求めるロシアは日本が降伏したため
その矛先を日本の統治から解放された朝鮮
に向けます。
日本が降伏した時点でロシアはすでに満州
を占領し朝鮮半島まで掌握し、脅威に思った
アメリカも朝鮮半島南部に勢力を維持して
朝鮮は北緯38度線で南北に分断されて
いました。

そして1950年現在の北朝鮮(と言っても
実質ロシアと戦後できた中華人民共和国)
が38度線を南下し建国直後の大韓民国
(と言っても実質アメリカ合衆国)を攻め
朝鮮戦争は始まります。
この戦争により物資が大量に必要になり
「朝鮮特需」と呼ばれる好景気から日本は
急速な復興を成し遂げます。

降伏後マッカーサーがやってきて日本国
憲法を作ったことは有名ですが、軍隊を
保持しない日本が自衛隊を持つことは
朝鮮戦争で日本に軍隊を十分に駐留でき
なくなったために生まれたのです。
日米安保で日本軍を解体し米軍が日本
に駐留しロシアの脅威に対抗する計画は
早くも崩れます。

さらにベトナム戦争に失敗してからは
海外の紛争に介入する「世界の警察」と
してのアメリカのポジションをアメリカ国民
が反対していく風潮になっていきます。
特に近年は戦争に投じる巨額が招いた
財政赤字が世論から非難される風潮から
軍事力に力を入れづらくなっています。

アジア太平洋政策も同様です。
ロシアからソビエト連邦となり冷戦と
呼ばれた時代から比べロシアは衰退
しました。正直なところアメリカは
経済的な事情でこの地域の軍事力を
縮小したいと思っています。
現在国会において問題となっている
安保法制は、簡単に言えば日本に
駐留するアメリカ軍の力を弱める代わりに
自衛隊さんがんばってくださいという
ものです。
決して日本が平和だとか戦争するとか
ではなく、アメリカのご都合なのです。

しかしロシアは択捉島に空港を作り
北朝鮮は日本海へミサイル実験、韓国は
竹島を武力占拠、中国は尖閣問題以外にも
日本との排他的経済水域内にガス田を
作り、南沙諸島を埋め立てたりと我国の
周辺が平和でないことは明らかです。
「日本は平和国家だからまわりが何を
しようと黙認する」という考え方が本当に
戦争をしてはいけないという考え方
なのでしょうか?
私達の世代はそれでいいかもしれませんが
このまま周辺国から領土を削られていくと
必ずどこかの時点で一部の声の大きい人々
の導きで再び戦争へと歩みそうな予感が
します。

そのようなことをおこさない為に抑止力は
必用です。しかしそれだけではダメです。
過去の歴史からみても外交をいかにうまく
するかが重要です。日本が周辺国から
圧力をうけてもその外側の国々から応援
してもらえるような環境を築くことが、
何より平和への道だと思います。

2015年8月5日水曜日

戦争について 原子爆弾投下と終戦

戦争は神風特攻隊など執拗に抵抗する日本
に対して、諦めさせるためにアメリカ合衆国が
投下したと学校で教えられました。

これも最近になってわかってきました。
日本目線からいうと戦争を繰り返し、最後に
第2次大戦で大きな被害を受け、戦争の
愚かさに気づいて平和国家となり現在に
至りました。
しかしアメリカの目線からは違っているのです。

欧州に比べて海外進出の遅れたアメリカは
アジア太平洋をアメリカ圏とするため、
欧州から日本に移行した支配の流れを自国
のものとするため日本をコントロールしたかった
のです。アメリカから開戦しては世論の反発を
受けるため敢えて日本から開戦させるように
します。計算通りアメリカは優位に戦争を
すすめていきます。しかしその最中に世界の
流れが変わります。ドイツに勝利したロシアが
反対側の太平洋に目をつけたのです。
日本もアメリカに勝てないことはわかっており
戦争を有利に終わらせるためロシアに仲介
してもらおうとします。ここでアメリカはシナリオ
が狂いはじめたことに焦りを感じます。
アメリカがアジアを治めるはずがロシアに
奪われてしまうという危機感です。
そこでアメリカは今後の世界の中で自国を
有利にするためパフォーマンスをします。
これが原爆投下です。

7月20日原爆投下のための実験爆撃が
行われ8月6日と9日にそれぞれ異なる
タイプの原子爆弾を投下します。
今後の戦局を睨んでのアピールとどのような
威力があるかのデータ収集が目的です。
3発目の投下予定があり14日に実験投下を
しましたが、その日に日本から降伏通告が
きたため、実施に至りませんでした。
その後も朝鮮戦争を経てベトナム戦争まで
アメリカはアジアで戦い続けたのでした。

一方ロシアはスターリンの領土拡大の目論みで
日本が15日降伏宣言した後も日本を攻撃し
樺太南部と北方4島を占領します。9月2日に
日本が連合国と調印後も北海道占領を
しようとしますが、アメリカの圧力で断念します。
アメリカとしては自国の利益のため、ロシアの
極東進出を阻みたかったのです。
「日本が降伏宣言した後、ロシアが日本の一部
を占領したが終戦協定前なのでアメリカは
ロシアを非難したり侵攻阻止ができなかった」
というこの一連の流れは戦後70年がたった
今も変わっていません。

過ぎた過去に対し日本が悪い、アメリカが悪い
と言うつもりはありません。
単に「戦争反対」というのではなく、今とその
時代との感覚や背景が異なることを考えた上で
今現在もその時代と繋がっているということを
認識することが重要だと思います。

2015年8月4日火曜日

戦争について 戦争がおこった背景

日本が中国(満州)などを植民地としてアジアを
侵略していったから戦争になったと言われて
います。
昨日紹介した「8月の歌」もそのような作品で
私も教科書でそのように学びました。
しかし最近になってそれがすべてではないことに
気づきました。

インドネシアなど東南アジアの取材で、現地の
人々は日本が占領してから教育を受けることが
でき、独立して今の繁栄に至っていると言って
いるのです。日本が占領するまでこれらの国は
イギリスなどの欧米に支配されていました。
そこでは人を生産の道具としか考えない姿勢で
支配していたので、現地の人々も言いなりの
生活を送っていました。その後日本が支配する
ことによって学校が立てられ、そこで教育という
ものが生まれ、自立につながっていったのです。
実際、20年ほど前、台湾に行くと中高年の人には
日本語が通じて感動しました。

しかし「植民地支配」という事実は変わりません。
ですから台湾での件も感動した反面、恥ずかしさ
というか、これまでの日本の行いに反省しなければ
ならないと感じました。ただ教科書で習ったことと
実際の当時の状況は違ったのです。

日本も黒船が来てこのままでは異国にこの地を
奪われてしまうという危機感から明治維新がおこり
産業が発展し、産業を支えるために海外に出ました。
しかし当時は欧米諸国がアジアを支配していた
ように、今の「植民地」という感覚と違っていたことも
事実です。

幸いにも世界世論を後ろ盾に戦争を勝ち抜いた
日本ですが、やがてそれが世界から見て疎ましく
思われるようになりました。
それが「第2次世界大戦」です。
これは当時というか最近まで海外との交渉能力が
乏しかったことが第一原因です。
戦争がおこったのは、東条英機や当時の軍幹部と
いうふうに言われ、確かにそれはそれで間違って
いないかもしれませんが、私は世界から孤立した
日本が海外から首を絞められて、苦し紛れから
暴れたと考えています。

その流れを戦争へ追いやったのは、一部の声の
大きな人々です。つまりは今「戦争反対!」と声を
荒げるような人々です。それが集団心理を動かし
戦争に至ったのです。
ヒトラーがドイツを狂わせたのではなく、当時の
ドイツの国民感情がヒトラーを生んだように
当時の声ある日本国民によって、日本は戦争へ
歩んでいったのです。