まず本文の前に大阪港の風景で
港区が開拓されたことについて触れましたが
市岡の地名に繋がる「市岡新田会所跡」の
写真です。
これは波除公園北西にあり、現在の
市岡という地名からは少し離れています。
北区の変わりゆく風景ばかり取り上げましたが
今回は変わってほしくない風景のひとつ
西区の川口キリスト教会です。
築150年近くになる煉瓦造りですが
近年付近は様変わりして、今にも
消えてしまいそうな建築物です。
ここ以外にも、少し西側には、
古い建築物がありましたが
その風景は変わって行っています。
最後は大阪ドームから港区に入る
尻無川沿いの道から撮影です。
ここは1986年NHKドラマ「
匂いガラス」の
ロケ地のひとつです。まだ当時17歳だった
仙道敦子が佇むシーンがあったところです。
大鶴義丹、鈴木保奈美といった後に有名に
なる人たちが演じた陰のある青春ドラマで
ここ以外にも港区、此花区周辺で撮影
されました。
そのロケ地の中でも印象的な
西区の九条と此花区の西九条を結ぶ
安治川の下にある「安治川トンネル」
(日本最古の沈埋トンネル)
は撮影していなかったので、機会が
あればレポートしたいと思います。
ちょい昔の大阪の風景、続いては
大阪駅周辺です。
まずは大阪駅桜橋口の後ろに建つ
スカイビルです。ご覧のように
ビルの右側は青空ですが、現在は
ビルが建ちあり得ない風景です。
逆に手前には旅行代理店が入居する
ショッピング施設がありましたが
それが取り壊された状態になっています。
桜橋口からガードをくぐって左へ進むと
大阪駅と目と鼻の先にも関わらず
単線の線路があります。
複々線主流の東京では考えられません。
この踏切を写真と逆方向の北へ進むと
新梅田シティと呼ばれる一角があり、
海外から「日本の凱旋門」と呼ばれる
スカイビルがそびえ立ちます。
踏切を渡らず左へ曲がると
西梅田ガーデンシティのはずれに出ます。
目印は毎日新聞ビルです。
そばにはリッツカールトンホテルなど
高層ビルがたくさんありますが
ビジネス区域のため観光の人は
あまりこちらには足を運びません。
さらに南へ移動すると国道2号線に出ます。
平成になって道路幅が南側へ拡張されて
下の写真からはバスの右側の柵がそれを
物語りますが、今やその面影もありません。
中心左上の大阪マルビル最上階のまわる
電光掲示板も周囲に高層ビルが建ち
電光表示が見えなくなってしまったため
現在は撤去されています。
改築前の阪急百貨店、右上は旧梅田駅
の土地に建てられた築40年近くになる
「阪急グランドビル」右下の銀色の塔は
築50年を越える梅田通風孔です。
阪急百貨店の左奥に見える
ヨドバシカメラも現在は高層ビルに阻まれ
この角度からは見えません
もう少し左へ行と大阪駅正面にでます。
現在は北側に商業施設や映画館の入居する
高層の駅ビルやグランフロント大阪ができて
人の流れは北側に集中しますが、大阪駅の
正面はこちらになります。
アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」で登場する大阪駅
も現在はリニューアルしてこの姿ではなく
下層部分を増床し変貌しています。
最後は少し南へ移動して中之島です。
上の2枚の写真はいずれも現在はありません。
上の朝日新聞社のビルは現在工事中です。
下の新朝日ビルはすでにフェスティバルタワー
という高層ビルに姿を変えています。
わずかこの10年で東京が一極集中により
21世紀になってから急速に姿を変えて
いますが、東京以外で唯一、一帯が
リニューアルされているのは梅田周辺だけ
かもしれません。
今日はパソコンを整理していたら
少し前に大阪市内を撮影した画像が
でてきたのでご紹介します。
まずここはサントリー本社前付近です。
遠くにそびえ立つのはヒルトンホテル、
まだグランフロントはなく貨物駅だった
頃のものです。
その先を北新地の方へ入ると奇妙なものが、
よく見ると、お地蔵さんのような・・・・・
調べると「堂島薬師堂」という由緒ある
施設だそうです。
朝の北新地はこんなものです。
自転車から撮影しているのでぶれてますが
大阪国際会議場です。
会議場という施設にも関わらず
ご覧のとおり1階は空洞のようになっていて
欠陥建築と罵られております。
撮影しながら自転車で走ったこの道は
結構爽快ですが、走りながらの撮影は
やめましょう。
このあたりの風景を見てると
「水の都」らしさを感じます。
扇町公園、関西テレビ付近です。
中之島公会堂付近です。
こうしてみると、緑が多い都市に
見えますが、東京には遠く及ばない
コンクリートシティなんです。
神山町の交差点。
ここから先がなかなか北伸しないように
都市計画の遅れも原因のひとつです。
しかし民間企業は元気です。
阪急の商業ビル屋上の観覧車も
その象徴です。
箱根山火山活動が活発になり
大涌谷周辺の観光ができなく
なっております。
これらに対して地元の観光に
関わる旅館、ホテル、お土産屋
などの観光施設からは
規制は一部のもので、
その区域以外の箱根は観光
できるので、観光に来てほしい
と訴えています。
しかし火山活動は地表から
観察したデータをもとに推定した
ものであり、実際どうなのかは
わかりません。
規制は噴煙地周辺300mと
いわれていますが、大自然に
とっては300mも30㎞も大差は
ありません。
確かに春の観光シーズンに
お客様が訪れないことは
商売にとって大損害ですが
根拠のない判断で観光客を
呼び寄せて大参事が起こって
しまうと今後の観光に打撃を
与えることは必至です。
過去に大きな津波被害の
経験がありながら
東日本大震災であれほど
被害が大きくなった要因は
地元住民の意識の甘さが
あったと思います。
今一番大切なことは
目先の利益に囚われず
常に最悪を考えることです。
実はうちのそばに港があります。
にもかかわらず南海トラフ地震の
津波は家の中の避難でも逃れられる
予想の高さになっています。
それは戦後の台風被害により
堤防、防潮堤が充実していることと
港区の大部分が盛土をして
市街地よりも高くなっているから
によります。
みなと通りの夕凪交差点では
高低差は目立ちませんが
裏道にはいると顕著に現れます。
ちょっとわかりにくいかもしれませんが
弁天町駅のそばにあるこの学校は
大正時代にでき、その後盛土されたため
盛土した道路より低くなっています。
港区の北側を流れる安治川と
南側を流れる尻無川にはそれぞれ
巨大な水門があります。
天保山へ来られた方はご存知と思いますが
内陸の歩道と岸壁の間には階段などの
壁によって遮られています。
5月17日の大阪都構想の
賛否についての住民投票まで
あと10日となりました。
2ちゃんねるなど身近なネットでも
賛成派と反対派が戦っています。
主な争点とし賛成派は
「二重行政の無駄をなくす。
反対派は根拠のないことを言って
不安を煽っている。」
反対派は「都構想は大阪市の
サービス低下を招き、維新は市民を
騙している。」と言った感じです。
そして私のスタンスは
「二重行政をなくす維新の考え方、
都構想も賛成ですが住民投票では反対」
という今までの主張に揺るぎはありません。
二重行政が無駄を生んだのは
コスモタワーとゲートタワーに
象徴されるとおり事実であり
今後景気回復が大阪の中小企業まで
潤った場合、税収が増え
今のままではまた無駄遣いと
なることが確実です。
維新の言う通り、大阪府と大阪市が
ひとつになるしか道はないと思います。
問題はその先です。
大阪市を特別行政区五つに分割する
ということは確かに大阪市の縮小です。
ひとつが五つに増えることで
コストはかかりますし、大阪市という
巨大な政令指定都市でなくなると
歳出も削減されるのではと懸念し
ここを反対派は攻撃しているのです。
反対派である自民、公明、共産などは
大阪市議会のこれまでの議席配分が
大阪市解体により利害が発生する等
既得権益についての問題が
反対の裏側にあることは明らかです。
いろいろな反対理由を並べても
これを考えると説得力がありません。
ここは維新の説明を信用したとして、
どうして住民投票は大阪府内各市でなく
大阪市だけなのでしょうか?
大阪市以外は賛成を前提とし
大阪市に反対の要素があるから
ということなのでしょうか?
私が懸念するのは橋下市長の暴走です。
何度も述べるとおり今回の区割りで
「北区」は大阪駅、新大阪駅を含めて
あからさまに特別区最強となります。
この中には橋下市長出身の東淀川区も
含まれます。
歴史的、地理的にみれば淀川以北を
淀川区でまとめるのが自然なのに
このような区割りになったのは
維新にも何らかの企みがあることは
明らかです。
これまで多くの票を得て
知事、市長に就いた橋下市長の発言に
「私が民意を得てるわけですから
民主主義の原則にのっとって・・・」
と強引な手段でこれまでも問題に
なったように、賛成多数を得ると
「我が国は法治国家ですから
粛々とすすめていきます。」と
投票後に大阪市民に不利益を
背負わせることもあり得ることは
橋下市長の人柄に詳しい人ほど
理解できると思います。
逆にいうと、だからこそ政治を
スピーディーに動かしていることも
事実です。
で、住民投票の問題点は
大阪市以外の地域でも各市ごとに
投票を実施すべきであると
いう点です。
加えて、橋下市長の暴言、暴走に
ストップをかけられる人材が
松井知事も含め、いなかったことです。
仮に反対多数となった場合
橋下氏が市長を辞任する可能性
があります。そんな無責任を
止められない維新は
橋下氏が暴走した場合も
止めることができません。
最後に今回の住民投票は
恐らく投票率6割を越えます。
今まで政治に無関心だった人も
関心をもってきたということです。
姿を消した大阪臨港線の跡を
浪速駅から先へ追いかけます。
しかし私の追い方が悪いからか
あまりそれらしきは見つかりません。
大阪港駅へ向かうルートで私の記憶では
左側の橋のたもとの右側突起部分から
鉄橋がかかっていました。貨車が通る時だけ
通行可能なシステムだったと思います。
今では港を臨む公園になっています。
左が港大橋、右側の高層ビルは
南港コスモタワーです。
この公園と北側のレンガ倉庫海側付近に
大阪港駅がありました。
(当時は地下鉄大阪港駅はありませんでした)
その先は現在の海遊館あたりまで続きます。
このルートとは別に大阪東港へ続く
ルートがあります。
線路はないのですが、このような
細長いマンションが線路跡に
つくられたことを物語ります。
跡形もなくと思っていたら、まだ大阪臨港線の
線路柵が一部残っていました。
阪神高速の橋脚と地下鉄の橋脚の間を
踏切でくぐり右カーブした先が大阪東港でした。
(このあたりが大阪東港駅?)
ここから先の倉庫の風景は
また改めてご紹介します。