大阪港の風景、今回はノーマルに
天保山です。
江戸時代はめじる山として大阪港の
浅瀬のシンボルでしたが、
その後開拓され港区ができあがると
ここだけ山となってしまいました。
と言っても日本一低いとされる
この山のメリットは意味不明です。
この麓?に桜島行の渡船が
運行されています。
桜島といってもかつて此花区の先端
であった場所です。昔はJR桜島駅
の傍でしたが、現在は移転して
利便性を失っております。
尚渡船は大阪市土木課管理の下
歩行者、自転車のみ乗船可で
無料です。
海遊館の南側の大通りを側道へと進むと
中突堤へ行けます。
かつては大阪港の船舶をコントロールした
ハーバーレーダーがありました。
現在は海へと続く遊歩道となっています。
左側の建物は咲島トンネル排気口です。
大阪港の最近の大きな変化は
税関社員住宅が住宅だけでなく
テニスコート、プールすべて
取り壊されて更地になっていたことです。
奥に見える観光バスは港冷蔵という
倉庫の跡地にできた夜行バスの
共用車庫です。
時代の流れに乗って港区も変わっている
のです。
さて、この大阪港の風景シリーズは
一旦終了させていただきます。
実は取材中にカメラを落として
修理期間が未定のためです。
昨日政府は安全保障関連法案を決定し
安倍首相は首相官邸で記者会見しました。
政府・与党は通常国会の会期を延長し
今国会での成立を目指すことになります。
インターネット上では、政治関連ではない
雑談系の掲示板でも
「日本ついに戦争参加へ」とか
「ゆとり世代に赤紙が届く時が来た」など
事実を歪めたデマが飛んで盛り上がりを
みせていますが、これもネットの功績の
ひとつではないかと思います。
今まで政治に興味のなかった世代も
ネットの雑談についていくために
検索サイトで調べて興味を持つように
なってきているのは事実です。
しかし問題は先ほども述べたとおり
偏った思想が先行していることです。
嘘は嘘であると見抜ける人でないと
(インターネット掲示板を)使うのは
難しいと2ちゃんねる創設者の言葉
にありますが、実際ネット利用者が
正しい判断がなされているかです。
大阪都に関してもそうですが
基本的にネットは革新的な意見が
主流を占めます。端的にいうと
左翼的思想です。
現状の政治思想を支持する人には
「ネトウヨ(ネット右翼)」として
異常な敵対心を抱いています。
ただしそれらの意見がすべて
間違えているわけでもありません。
恐ろしいのは人々の意見が偏った
方向のみに傾斜する同調現象に
陥る危険があることです。
大袈裟な意見かもしれませんが
義務教育期間のうちにネットの
正しい見方なるものを教授する
必用があるのではと考えます。
日本時間5月13日午前10時頃
アメリカ合衆国、フィラデルフィアで
急行列車が脱線しました。
日本でも過去に福知山線が脱線
する大参事がありました。
たとえばもし
日本の新幹線で同じような事故が
おこった場合を考えます。
たとえ遠くで、見ず知らずの人が
亡くなったり、ケガをされたとしても
この場合は日本国民全体の損害
となります。
日本国民だけでなく、全世界から
日本が求められているものは
「安全と安心」です。
日本のアニメが好きで家族で
日本に行きたいけれども時間も
予算もなく断念する中、欧州から
女子中学生ひとりで日本へ
観光に来た話を聞きました。
日本が世界の中で安全な国
だからです。
新幹線を海外に売り込む
日本の武器も同様です。
よって、たいていの場合は
車輛だけでなく、運行システム
などの運用管理をセットで
売り込むのが日本流です。
当然中国のそれより高くなり
車輛性能は欧州のものより
劣るかもしれません。
それでも新幹線が各国の
基幹鉄道として検討されるのは
新幹線が開業以来人身事故を
起こしていない実績です。
つまり新幹線が事故を起こす
ということは、日本の信頼を
失うことになります。
見た目の電車のデザインや
車内にディスプレイを装備する
見た目も大事ですが
本当に大事なのは、終電が
車庫に入って、始発が動き出す
までに、線路を点検したりする
地味なところにあるのです。
もともと江戸時代、大阪市港区は
浅瀬だったとされています。
現在の地名の「市岡」や「八幡屋」
は当時の浅瀬を農耕地にした人の
名前から現在に至ります。
「石田」もそのひとつですが
あまり名前の知られていない町です。
というのも、安治川に面していることから
ここを貨物港の拠点にするため
わざわざ埋めた土地を切取って
港にしていったのです。
現在のサイロ通りと呼ばれる
北側にはそれに匹敵する通りが
ありましたが、そこが今の貨物港
となっています。
今回はサイロ通りに沿って弁天町から
西へ進んでみました。
朝潮橋付近、上の写真左側の円形の
建物はサイロではありません。
阪神高速朝潮橋パーキングエリアです。
下は阪神高速道路の事務所になっています。
逆方向の弁天町駅周辺は、高層ビルに
囲まれ都会に見えますが、
実は下町であり、交通科学館も閉館し
少し寂しい街なのです。
まず本文の前に大阪港の風景で
港区が開拓されたことについて触れましたが
市岡の地名に繋がる「市岡新田会所跡」の
写真です。
これは波除公園北西にあり、現在の
市岡という地名からは少し離れています。
北区の変わりゆく風景ばかり取り上げましたが
今回は変わってほしくない風景のひとつ
西区の川口キリスト教会です。
築150年近くになる煉瓦造りですが
近年付近は様変わりして、今にも
消えてしまいそうな建築物です。
ここ以外にも、少し西側には、
古い建築物がありましたが
その風景は変わって行っています。
最後は大阪ドームから港区に入る
尻無川沿いの道から撮影です。
ここは1986年NHKドラマ「
匂いガラス」の
ロケ地のひとつです。まだ当時17歳だった
仙道敦子が佇むシーンがあったところです。
大鶴義丹、鈴木保奈美といった後に有名に
なる人たちが演じた陰のある青春ドラマで
ここ以外にも港区、此花区周辺で撮影
されました。
そのロケ地の中でも印象的な
西区の九条と此花区の西九条を結ぶ
安治川の下にある「安治川トンネル」
(日本最古の沈埋トンネル)
は撮影していなかったので、機会が
あればレポートしたいと思います。
ちょい昔の大阪の風景、続いては
大阪駅周辺です。
まずは大阪駅桜橋口の後ろに建つ
スカイビルです。ご覧のように
ビルの右側は青空ですが、現在は
ビルが建ちあり得ない風景です。
逆に手前には旅行代理店が入居する
ショッピング施設がありましたが
それが取り壊された状態になっています。
桜橋口からガードをくぐって左へ進むと
大阪駅と目と鼻の先にも関わらず
単線の線路があります。
複々線主流の東京では考えられません。
この踏切を写真と逆方向の北へ進むと
新梅田シティと呼ばれる一角があり、
海外から「日本の凱旋門」と呼ばれる
スカイビルがそびえ立ちます。
踏切を渡らず左へ曲がると
西梅田ガーデンシティのはずれに出ます。
目印は毎日新聞ビルです。
そばにはリッツカールトンホテルなど
高層ビルがたくさんありますが
ビジネス区域のため観光の人は
あまりこちらには足を運びません。
さらに南へ移動すると国道2号線に出ます。
平成になって道路幅が南側へ拡張されて
下の写真からはバスの右側の柵がそれを
物語りますが、今やその面影もありません。
中心左上の大阪マルビル最上階のまわる
電光掲示板も周囲に高層ビルが建ち
電光表示が見えなくなってしまったため
現在は撤去されています。
改築前の阪急百貨店、右上は旧梅田駅
の土地に建てられた築40年近くになる
「阪急グランドビル」右下の銀色の塔は
築50年を越える梅田通風孔です。
阪急百貨店の左奥に見える
ヨドバシカメラも現在は高層ビルに阻まれ
この角度からは見えません
もう少し左へ行と大阪駅正面にでます。
現在は北側に商業施設や映画館の入居する
高層の駅ビルやグランフロント大阪ができて
人の流れは北側に集中しますが、大阪駅の
正面はこちらになります。
アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」で登場する大阪駅
も現在はリニューアルしてこの姿ではなく
下層部分を増床し変貌しています。
最後は少し南へ移動して中之島です。
上の2枚の写真はいずれも現在はありません。
上の朝日新聞社のビルは現在工事中です。
下の新朝日ビルはすでにフェスティバルタワー
という高層ビルに姿を変えています。
わずかこの10年で東京が一極集中により
21世紀になってから急速に姿を変えて
いますが、東京以外で唯一、一帯が
リニューアルされているのは梅田周辺だけ
かもしれません。
今日はパソコンを整理していたら
少し前に大阪市内を撮影した画像が
でてきたのでご紹介します。
まずここはサントリー本社前付近です。
遠くにそびえ立つのはヒルトンホテル、
まだグランフロントはなく貨物駅だった
頃のものです。
その先を北新地の方へ入ると奇妙なものが、
よく見ると、お地蔵さんのような・・・・・
調べると「堂島薬師堂」という由緒ある
施設だそうです。
朝の北新地はこんなものです。
自転車から撮影しているのでぶれてますが
大阪国際会議場です。
会議場という施設にも関わらず
ご覧のとおり1階は空洞のようになっていて
欠陥建築と罵られております。
撮影しながら自転車で走ったこの道は
結構爽快ですが、走りながらの撮影は
やめましょう。
このあたりの風景を見てると
「水の都」らしさを感じます。
扇町公園、関西テレビ付近です。
中之島公会堂付近です。
こうしてみると、緑が多い都市に
見えますが、東京には遠く及ばない
コンクリートシティなんです。
神山町の交差点。
ここから先がなかなか北伸しないように
都市計画の遅れも原因のひとつです。
しかし民間企業は元気です。
阪急の商業ビル屋上の観覧車も
その象徴です。